こんにちは!かすみです! 

今回はイギリスに留学されている後藤さくらさんにインタビューさせていただきました! 

後藤さんは現在大学2年生ですが、海外での生活が長く、多くの文化に触れてきました。 

第1回では、後藤さんがイギリス留学に至るまでの心境や経緯を書いていきたいと思います。 

 (第1回→ 第2回 第3回 第4回 第5回

~上海で生活していた中学・高校時代~ 

まず高校時代のことが気になったのですが、以前は上海にいたとのことで、なぜ上海にいたのですか? 

私の場合は両親の転勤っていう形だったので自分の意志ではなかったんですけど、上海に転勤したのが今から7,8年前、だと思うんですけど…。 

やっぱり、中国で働くとなるとビザがもちろん必要なんですけど、お父さんの会社に上海支部がまだなくて、お父さんが1人目として働きに行くって形だったので、ちゃんとした在留ビザがなくて…。 

旅行者ビザ、いわゆる3か月しかステイできないようなビザしか取れず…。 

受け入れてくれる学校があまりなくて、唯一受け入れてくれた現地校国際部のような学校? 

もう8割くらいが中国人っていう学校に通ってました。6年間くらい。 

6年間も!?すごいですね笑 

最初は逃げたくて仕方なかったですね笑 

その6年間を通して一番大変だったことは何ですか? 

やっぱり、最初の2年ほんと辛くて…。 

望んでないのにここにいる自分と、親に責任押し付けたいけど、親も選んだわけじゃないし…。 

どこにも行きようのない怒りというか…。戸惑いと、周りの子たちがその… 

一応、自称インター(インターナショナルスクール)なんですね。 

一応インターナショナルスクールっていう名前は入っているんですけど、現地校国際部で、もう授業は全部英語で行われるからインターと変わらないレベルのものが受けられるんですけど… 

休み時間とか、授業内のディスカッションとかが、中国人ばっかりいるから中国語になっちゃうわけですよ笑 

話す気ないじゃん!みたいな笑 

元々、中国語習ってはいたんですけど、そんな喋れるわけじゃなかったので…。 

すごい中国語が嫌いになったし…、もう早く日本に戻りたくて仕方がなかったですね。とても。 

なので、ほんとに最初の2年は、高校生になったら日本に帰るんだっていうのを、希望として持ちながら生きてましたね。 

その選択肢があるって思いながら生きてました。それは親もずっと言ってくれてて、「辛くて逃げたくなったらいつでも日本に帰っていいんだよ」みたいな。 

そうですよね…。6年間もいるってなかなかないじゃないですか。最初にインタビューのお話を聞いた時から、高校時代から海外に行くっていう経験をされているっていうのが…普通いないじゃないですか笑 

想像をはるかに超えてたので…笑 

私の場合、自分で選んでないとはいえ、家族で一緒に行けたので、精神的に不安定になることは多かったけど、家族一緒にみんなで乗り越える経験だったので、それはすごく家族の絆が深まるのにも繋がったし…。1人じゃないのはすごく助かりましたね。 

2011年…?中2…で上海に行って…って感じですね。 

中2から6年間ですか? 

なんかインターに行くっていうので半年ずれるので、事実上は中1から高3までって感じですね。学年的に言うと。 

では、その6年間で友達はいっぱいできましたか? 

そうですね。最初は意地でも中国語喋りたくないって思ってたので笑 

中国語を喋らない子か、その中国人のグループを抜けてでも、私と仲良くしたいと思ってくれる子と仲良くしてて。 

最初はすごい、みんなと仲良くするけど、一緒に出掛けたりとか、ご飯食べたりっていうのは、ほんと数人の友達としかしてなかったんですけど。 

でも時がたつにつれ、自分の中国語コンプレックスとか、そういうものも無くなっていって。 

だんだんみんなと仲良くできるようになったので。 

でも、友達ができた一番の理由は自分の中のスタンスが変わったことが一番でかかったなと思いますね。 

最初すごい、環境が嫌すぎて全てが嫌に見えたので笑 

さっき、中国人の方が8割っておっしゃってたじゃないですか。 

それ以外の国の方って日本人以外もいっぱいいたということですか? 

そうですね。一応いわゆるインターに、よくみんながイメージする西洋人の方々もいらっしゃったんですけど、西洋の人は西洋で固まるんですよ。英語で喋ってると。 

私は上海に行く前、香港に…海外に転勤であったんですけど、そこでも日本人学校で過ごしていたし、あんまり英語でコミュニケーションができなかったので、その輪にも入ることができなくて…。 

中国人のグループにも入れないし、西洋人のグループにも入れない、なんかもう、あぶれてる人みたい…どっちも属せないみたいな感じで。それがすごく辛かったんですよね。 

一応、韓国人とかもまぁまぁいる学校だったんですけど、韓国人は韓国人で固まる笑 

もうみんな、自分と文化とか背景が近い人といてしまうっていうのは人間の性というか、そういうのが垣間見えました笑 

もう自分はそこで属せる場所がないなっていうのはすごく疎外感を感じて…、辛かったっていうか…。 

辛かったんですけど、私だけじゃなくて。そういう風になってる子が。 

中国人のグループに入れるけど、英語喋って過ごしたいとか思ってる子もいるし。韓国人だけど英語喋って過ごしたいとか思ってる子がいたので、そういう子と仲良くなって、最終的に…、最初は疎外者、あぶれてるっていう感覚だったけど、だんだんと、どこにでも属せるってことに気づいてきて。 

この立場に入れるっていうのが楽しくなって、だんだんと、みんなの仲介者みたいな。 

どこのグループでも入れるみたいな感じになったので。それは最初、自分の弱点だと思ってたところが強みになって良かったなって思いました。 

結果的にいい方向に転がってったってことですよね? 

最初はそんなこと思えるほど心の余裕なかったですけど、やっぱり6年も経てば、変わっていきましたね笑 

…と今回はここまでです!次回 #2をお楽しみに!