今回は題名にもあるように、フランスでのコロナ勃発とその状況の移り変わる速さを目の前で体験し、その後無事日本へ帰国を果たすことができた(大袈裟だ)編集者の「あの日、あの時」を時系列でコロナと周りの状況と共にお届けする回になります。
さあ、君は無事に脱出仏できるか!?なんて大袈裟なことを言っていますが、実際当時の私は夜逃げをする気分で刻一刻と状況が変わり毎晩生きている心地がしませんでした。 皆さんもこの記事で体験してみてください。
では当時を振り返ってみましょう!!2月下旬〜3月の状況、そして3月8日から帰国する3月18日までの急展開のお話です。(恐ろしい、、今振り返っても全てが10日間で起こったこととは思えません汗)
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『2020年2月下旬の状況』
2020年2月下旬の時点では私たち留学生は普通の生活をしていました。学生は、バカンスから帰った後のテスト期間を終えたばかりで、少し一息ついたところでした。(私はニースにバカンスで行っていました。上記写真)
ただ、「イタリアでウイルスが流行っているらしい」とのことをよく耳にするようになってきていました。そして「そのウイルスは中国から広まってきたらしい」と。
そして2月29日に日本大使館から次のようなメールが来ました。「フランス国内で19の感染例が確認されました。中国や香港、シンガポールやイタリア北部からフランス国内へ帰国した人は14日間学校に通うことはフランス政府により禁止されています。またそのような人で感染の疑いが見受けられた場合は指定の電話番号に電話してください。」といったような内容でした。
ただフランスではこの時期はまだまだ誰も真剣に捉えていなかったように感じます。私も普通に買い物に行ったり古着屋巡りや美術館にも行っていました。
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『3月に入ってからの大まかな状況』
それから3月に入り私の住むLilleでも感染者が1人確認されましたが、依然誰も真剣に捉えていなかったように感じます。実際、私は学校の授業の課題で3月7日には普通に美術館に行っており、周りも至って何の変化もありませんでした。しかし実際は2月29日に国内で19の感染例が確認されてから実に2、3日で急激に、感染者は100人単位で増えてきていたのです。
そして、大学にも感染者がいるらしいとの噂が広がっていました。(←後日この大学内感染者の噂はデマだったと判明)3月4日に今度は大学からメールが入ったのを覚えています。内容は「大学では感染者は出ていません、握手やビズ(挨拶のキス)を控えるようにしてください。ウイルスの流行っている地域へ旅行に行かないでください。」のようなものでした。
私はまるで映画の中にでもいるような気分だったのを覚えています。つい1週間前は何もなかったのに、急にウイルスが近づいてきている!! この時私は大きくわけて以下の3つの不安を持っていました。
①フランスで自分がウイルスにかかり、医療崩壊で外国人だから後回しになるのではないかということ(これは今考えると大袈裟でしたが)と、そもそも外国で入院などしたくないということ。
②このままウイルスが広がっていくことになればロックダウン(国境封鎖)の可能性が高まり、帰りたいのに帰国できない状態になるのではないかということ。
③アジア人ヘイトが少しずつあからさまになってきたこと。私の顔を見た瞬間、服で口を覆ったり。「コロナヴィラス!!(フランス語でコロナウイルス)」と叫ばれたりなど。。(このことはまた別記事で書こうと思います。)
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『3月9日からの急展開😱』
それでもまだまだ私の中では帰国の選択肢は現実的には全く捉えておらず、ただ大変なことになった!と感じていただけでした。現に、留学にもやっと慣れてきた頃で3月8日には美術館へ一人で出かけていました。
しかしその次の日3月9日、1000人以上のイベントの中止と幼稚園・高校の閉校がフランス政府から出されました。この時点で日本の大学から連絡が入ります「状況はいかがですか」と。私はこの時点では、まさか1週間後に帰国することになるなんて夢にも思っていませんでした。
そしてこの政府の宣言によって、大学も1週間後には閉まるらしいとの噂を聞くようになります。しかしこの時点ではまだ交換留学生のほとんどが何とも思わず、まだ予定通りフランスに滞在すると感じていました。
ただし、アメリカからの交換留学生を除いて😯🇺🇸。これは後日、留学先大学で一番仲の良かった英語の先生にさよならを言いに行った際に聞いてとても驚いた話なのですが、アメリカ政府はこの時点で既にアメリカ人の学生に向けて帰国のためのチケットを添付したメールを一斉に送っていたらしいです。中には朝にメールが届いてその日の夜の便のチケットが添付されていた人もいたようで、アメリカ人の留学生たちはどの国の留学生よりも早く姿を消していました。実際に、この1週間後様々な国の留学生が帰国でてんやわんやになるタイミングでは、ほぼ全員のアメリカ人が既に帰国済みの状態でした。なんという半ば強制的とも取れるがスピーディーな対応でしょうか、やっぱりアメリカって凄いな(映画かよっ)、そして怖いなと感じたお話でした。
話を私の話に戻すと、その大学が閉まる噂を聞いてから4日後(つまり3月13日)に、マクロン大統領の新たな宣言で遂にフランスの大学および美術館やレストランなどが閉鎖されました。一週間後ではなくこんな早くに閉鎖になるなんて!!(しかし謎に映画館は14日まで開いていたので14日にパサライトを観に行ったのは裏話です。今から思うとどんなタイミングで観にいっとんねん、ですよ笑)このタイミングで日本の大学からも「フランス国内のレベル3になったので帰国をお勧めします」との連絡が。。(日本時間では深夜でしたが電話をしてくださって、精神的に少し安心しました。)しかしチケットは自己負担とのことでした。泣
そしてフランス国内の感染状況が急激に悪化し、先ほどの3つの不安のうちの2つ目である「ロックダウン」が現実的になってきたので、この時には日本人学生たちの中でもちらほら帰国のチケットを取って寮を引き払う手続きを始める人が出てきました。私も自分の部屋のものを整理し始め、パッキングも少しずつし始めていました。私はオープンチケット(行きと帰り分のチケットを同時に取って帰りの日にちを後で決められるチケット)で直通でフランスに来ていたので、別でチケットを取る必要はなかったので幸いでしたが、この時は私も含む多くの留学生が「まだ早くて2週間後ぐらいにロックダウンになるだろう、3月下旬頃になるだろう。なのでそんなに急いで帰国の準備をする必要はない。」との予測をしていました。。現に私はこの時点では3月26日の便で帰るつもりをしていました。
そしてこの2日の間に、少し前に予約してい友達の便が、色んな国を乗り継ぐ便であったために、その一つの国がロックダウンになっていうことで新たに別の直行便を買い直さなればならなくなった友達もいました。
そして事態は15日夜に急激に変化!! 日本人学生の一人とフランス人学生の一人がフランス政府関係者と知り合いだったことで新たな情報が入ったのです。「明日にマクロン大統領演説があって、明後日3月17日昼から移動規制になるらしい」と。
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ちょうどこの情報が入ったのはみんなでさよならパーティをしていた時だったのですが、みんな大パニックですよ笑
「え、私チケットまだ取ってないんだけど。」
「待って。チケットはとってるけどパリの空港までの移動まで止まるんじゃない?」
「そもそもまだ日本に荷物送れてないけど!!」
「え。俺まだ帰る気さえしてなかったけども。」
「私はギリギリまで残るしロックダウンになってもフランスにいるよ」
「え、それ大丈夫そう? 後々帰れなくならない?」
などなど口々に不安と意見を発言していました。
私はというと、そのパーティから帰宅した夜に日本にいる母へ電話をして大学の生協で、3月26日の便を3月18日に変更してもらうよう頼みました。(それが予約できた最短の便でした)母に頼んだのは、ネット上は混雑でフランス発の便のページには繋がらず、ましてやフランス国内のエアフランス支店は閉鎖されていたからです。(ちなみにエアフランスのオープンチケットでした)
そして、3月17日の昼に移動規制になるならばと交通機関もストップしてしまう恐れもあったため、この時同時に3月17日早朝のパリのシャルルドゴール空港へ移動するためのTGV(日本でいう新幹線)の予約もしました。
さてここからはもう大忙しです。パーティ翌日の16日までなら郵便局はギリギリ開いていたので、スーツケースに入らなかった分の荷物をとにかく段ボールに詰め込んで日本へ郵送しに持って歩きました。そして寮の物も全て無くしパッキングを済ませ、電気会社や国の社会保障に手紙を書いて投函したり、(契約破棄だけは謎のアナログ式。書き方はまたもあのフランス人家族に助けてもらいました。)携帯電話の契約破棄をしたりしました。寮の鍵は話し合いの末明日17日早朝に寮会社(閉鎖されていた)のポストに投函することとなり、銀行の解約手続きなどはやっている暇はないので帰国してからの手続きとなりました。
そしてそのパーティでの情報通り、その16日午後ににマクロン大統領から「明日17日の昼から移動規制を行う」との発表があり、ほとんどの留学生が17日または18日に帰国することになったのです。
私は予約通り、明日の3月17日朝にパリに移動して空港付近のホテルで一泊し18日に帰国することになりました。
怖いことに、その時点でTGVの予約できる時間帯は限られてきており、昼付近と昼以降の運用はほぼ全てannulé(フランス語でキャンセル)と表示されていました。そして18日の飛行機自体、当日にならないと分からないとのことだったのですが、なんとか18日に運行されたので私は無事帰国することができました。(飛行機は基本、ロックダウンまでは動いていたそうです)
日本へ帰国してから2週間の自主隔離をし、この脱仏夜逃げは完全に完了しました。
フランス帰りのコロナ感染者がニュースでも話題になっていた時期なのでヒヤヒヤしていましたが、なんとかコロナにはかからずに帰国できたのが不幸中の幸いでしたね。
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どうでしたでしょうか。これが私のコロナによるフランス夜逃げエピソードになります。
一日一日で状況が大きく変化していく中、わずか10日での急な帰国となりましたが、なんとかなったので、人生はなんとかなるものだと学ぶ良い経験となりました。
私の後に帰国した学生も何人かいたので、なんとかなるものです!(彼らはもっと大変だったそうですが、、) 緊急事態には出会わない方がもちろん良いですが、もし出会ったとしても落ち着いて対処すれば大体のことは乗り越えられ、良い経験になると思うので、いつかこの記事を読んだことを思い出して落ち着いてくださったら嬉しい限りです。
✍️ここで私からのワンポイントアドバイス(笑)
・帰国時期が大体決まっている留学ではできるだけオープンチケットを買った方が、このような緊急時(滅多にないと思いますが)に対応しやすい。ただし、オープンチケットは割高であることが多いので注意が必要。
・留学中は日本人の友達がいるコミュニティにもしっかり属しておいた方が良い。緊急時には同じ日本人として同じ状況下で助け合えることがある。また、今回のように人づての情報から間一髪予約を変更したりなどもできたので、友達は多いに越したことはない。
・何があっても落ち着いて一つづつ解決していけば、なんとかなる!
今回は長い記事となってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!それではまた次回😆